北栄 やさしい風のふくまち

北栄散策 歴史・文化財(3)


東高尾観音寺 MAP E-1
東高尾観音寺には、国の重要文化財2体、重要美術品9体、その他34体、合わせて45体の仏像が安置されている。

1942年(昭和17)「木造十一面千手観音立像」「木造十一面観音立像」が国の重要文化財に指定され、2体とも平安中期の作と推定される。十一面千手観音立像は、像高1.9mの一木造り。面相は長く気品高い表情で衣文は柔らかく流麗。両脚下の翻波式彫法は見るべきものがある。十一面観音立像は、像高1.59mの一木造りで、面相は丸く円満優美。愛くるしい顔で柔軟な調和した姿態である。

瀬戸観音寺 MAP B-4
  瀬戸観音寺の「木造十一面千手観音立像」は、像高1.57m、頭・胴部は同一材の一木造り、両腕・脇手は矧付。全身細身流麗で、裳の下部には翻波式の衣文や渦文など古式の加飾も見られる。 もともと東高尾観音寺にあったものだが、江戸時代末期にこの地に勧請された。また、他の古仏は全て一木・彫眼であることから、この像の玉眼は後世修理の時に作ったものといわれている。 1958年(昭和33)県保護文化財に指定され、平安時代中期の作と推定される。

 

日置黙仙禅師墓所 MAP C-6
  1847年(弘化4)下北条村字島に生まれ、加賀の天徳院奕堂の下で修行。丹波の円通寺、遠州の名刹可睡斉の住職を経て、1916年(大正5)永平寺の貫首となり66世を継ぐ。

1920年(大正9)に越後の養広寺に没するまで禅の布教に奔走し、その活動は国内のみならず海外にまで及んだ。

山を背に北条の田園風景に溶け込むように建つ禅師の石碑は、今でも行き交う人に何かを語りかけるようでもある。


松岸寺 MAP B-8

曹洞宗の古刹、山号は紅梅山。寺伝では、1547年(天文16)天台宗派の権大僧都阿闍梨秀英が天台宗の庵を建てたのが寺の起こり。秀英から4代経て、1607年(慶長12)大岳院第3世宥山英寛が曹洞宗の寺院を建立。松岸寺と号したのが事実上の開山といわれる。

引田逸牛の天井絵が本堂にあり、襖絵、不動明王の大幅、境内には句碑もある。鳥取藩政時代の絵師 島田元旦の「旭日二鶴」の大幅、日置黙仙の書翰屏風、本堂の欄間には「十六羅漢」など、数々の文化財が所蔵されている。


日置黙仙の書翰屏風 引田逸牛の天井絵「いろはかるた」
隆光寺 MAP B-6

1394~1428年(応永年間)の開創で、仏日寺と号した。現在の本堂は平成4年に改築されたもの。

幕末の際、藩主池田慶徳公を助けて明治維新の実現に奔走した正墻適処(1818―1875年)が松神村に移住し、隆光寺本堂を塾舎として「研志塾」を開いた。塾の卒業生は地方の発展に貢献した優れた人材が多かった。

隆光寺には、自筆の“塾規”が残っているほか、境内に頒徳碑が建ち、近くには隠棲の屋敷跡もある。



正墻適処自筆の“塾規”
北条八幡宮 MAP B-6

1283年に奉納された町指定保護文化財の梵鐘

931~938年(承平年間)京都の石清水八幡宮を勧請して建立したと伝えられ、古来より庶民の崇敬、武将の尊崇が厚い。戦国期には兵火にかかったが、里見安房守忠義が社殿を再興。城壁のような造りから“城づくり”と呼ばれている。

拝殿の額にある八幡宮の“八”は二羽の鳩で表され、“八幡様のお使い”を意味しているという。本殿は1832年(天保3)に建立された総ケヤキ造りで、唐破風・ちどり破風の屋根は見応えがある。