鳥取伝統工芸士/北條土人形
加藤 廉兵衛(91歳)
自分の思うままになってごさぁそりゃ楽なですわ。どっこい、そうはいきませんけぇ。
なんとも素朴な人形である。廉兵衛さんの手の中のころんとした土色の人形が、みるみる色をまとって出来上がる。現在は来年の干支である「亥」の北條土人形づくりに追われる毎日。この干支づくりが終わると雛人形づくりが待っている。
廉兵衛さんの人形づくりは満州から引き上げた後、お姉さんの影響で始まった。始めはクスノキで彫刻をしていたそうだ。
「70年近くになるかなぁ。今になるまでは材料が木だったり、紙だったり。でも、一番材料が手に入りやすかったのは土ですけぇ。金が掛からんだけ。本当は焼物をやりたかったけど、窯がいるし…金がいるけぇなぁ。これは土と泥絵具があればできるですけぇ。その当時は、ほんに戦争から裸で帰っとっですけぇなぁ」
この土人形、つくり始めた頃は天神川の土が使われていたそうだ。
「前は天神川のゲシ(土手)に、ごっついことあったけなぁ。一生掛かっても使いきれんほどあった。ちょっと粘りが足らんだけ、上神の土を混ぜて使ったですいな。けど、護岸工事で全然なぁなっちゃいましたいな。天神川の土はきれいなもんです。そのまま使えた。だけど今はもうないけ、岐阜県の土を使っとるですいな」
ほのぼのとした土人形はすべて廉兵衛さんのオリジナル。色使いもきれいだ。
「全部自分でするだいな。今作っとる亥はセットものの亥と同じ赤でもちょっと違うし、形も違う。色は、人の真似をすると感じが違っちゃうだいな。絵付けっちゅうのは自分の思うままになってごさぁ、そりゃ楽なですわ。どっこい、そうはいきませんけぇ」
「今の歳になると、これは売れる、これは売れんと、分からなええけど、分かっちゃう。人間は欲だけ、そっちに行っちゃう。結局、妥協になっとる。だけど、大分前に『売れんものを造ったっていけんだぞ』と言われた事があってな。それは結局、独り善がりになるなっちゅうことですいな」
工房の軒先に並ぶ土人形の型
かつて、父親から聞いた民話や神話の主人公を想像でつくっていたものが、民芸会の名匠 吉田頌栄の目に留まり、東京などで個展を開くことにもなった。また、鳥取民芸の祖 吉田璋也を通じ、写真家の土門拳や棟方志功とも会ったことがあるそうだ。現在でも民芸品店、県の物産館などで人気が高く、多くの民芸ファンに親しまれている。
戦争の悲惨さを体験した後に始めた土人形づくり。平和であることが当たり前と感じている今を、廉兵衛さんは体験者だからこそ危惧を抱かれている。それでも素朴な土人形は見るものを笑顔にしてくれる。それは“作り手の心”が伝わるからなのだろう。
干支のセット、雛人形、河童…色とりどりの北條土人形は“れんべえ人形”と呼ばれ親しまれている